展覧会情報 「hyper tension with uneasiness」 倉重光則 芦谷正人 岩澤有徑 大澤辰男 中川久 内山聡 勝又豊子 佐藤ジン

大いなる緊張と、容易にはわからないもの
その21世紀的考察に照準を定めよ!

開催期間
2009年9月22日(火)~10月4日(日)
開館時間
11:00~19:00(最終日は17:00まで)
開催場所
SPACE A, C, D
展示内容
インスタレーション写真絵画
作家名
倉重光則 KURASHIGE Mitsunori
芦谷正人 ASHITANI Masato
岩澤有徑 IWASAWA Arimichi
大澤辰男 OSAWA Tatsuo
中川久 NAKAGAWA Hisashi
内山聡 UCHIYAMA Satoshi
勝又豊子 KATSUMATA Toyoko
佐藤ジン SATO Jin

展覧会に寄せて


「無題」
  中井康之 (国立国際美術館 主任研究員)


 「絵画芸術がモダニズムの下で自らを批判し限定づけていく過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体に不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。支持体を囲む形体は、演劇という芸術と分かち合う制限的条件もしくは規範であった。また色彩は、演劇と同じくらいに彫刻とも分かち持っている規範もしくは手段であった。...それゆえモダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かったのである。」
 20世紀に著された美術作品に対する批評文の中で最も有名とも言えるこの「モダニズムの絵画」は、クレメント・グリーンバーグが後に記しているように1960年の春までには発表されていた。それは、彼にこのような見解を表明させる大きな機縁ともなったであろうジャクソン・ポロックが亡くなってから4年目を迎えようとしていた頃である。そのような意味で、この絵画の「原理」のような文章は盟友ポロックに対する墓碑銘のように聞こえるところもあり、その時代を画した大きなムーヴメントに対する葬送曲でもあった、と考えることもできるだろう。
 急ぎここで注釈を加えなければならないのだが、後にグリーンバーグは、この文章によって、絵画の「原理」を表明したように捉えられるのは本意ではないと述べている。彼は、あくまでも自らの経験に基づいて過去の事実を抽象化したに過ぎず、そのような「原理」を表明したつもりは無く、「絵画芸術における美的な質の基準と見なしている」ことも無いと明言している。「書いてあることを精読すれば...分かる」とも述べている。ただし、この追記も少し情勢に対して迎合的な性向があり、そのままには受け取り難いところがある。実際、冒頭部の引用箇所だけではなく、グリーンバーグはルネサンスから印象派までの絵画史を引き合いに出して絵画が歴史的に平面性へ向かっていることを一つの論理として証明している、とも捉えられる箇所が見られるからである。そのような論証がなされ、最後に「芸術とは、さまざまなものにもまして連続性なのである」と結論づけられれば、「絵画」は「平面性」を希求していると解釈されることも無理からぬところがあるだろう。
 このように、言語による表現というものは常に不確定な要素を有するものなのである。20世紀絵画の「原理」とも評される「モダニズムの絵画」でさえ、著した本人の弁によって白とも黒とも捉えがたい「命題」へと変容し、さらには、それをとりまく論壇は一つの星団を構成しかねないほどの様々な段階の解釈を生み出していくことになる。

     *****

 閑話休題。「絵画」が、グリーンバーグが言うところの「空間のイリュージョン」を忌避するようになった遠因として「写真」の誕生を挙げることができるだろう。そのメディアの実際の敷衍の段階を考えると、言われるほどには「絵画」と拮抗する場面は多くなかったとは思われるが、「絵画」表現の中で線的遠近法等の三次元空間を二次元に還元化していくような手法が軽視されていったことは容易に想像できる。逆に「写真」が芸術として昇華するために「絵画」芸術を希求していたことも、また事実であった。19世紀英国に起こったピクトリアリズムは、「写真」が芸術として認められるための必要条件であった。さらに、「写真」が芸術表現として他の芸術領域と同等の位置を与えられるためには、「写真」によって生み出される新たな表現領域の登場を待たなければならなかった。それは、先のピクトリアリズムを広めたアルフレッド・スティーグリッツでも、レイヨグラフ、ソラリゼーション等の技法を駆使したマン・レイでもなく、1970年代後半のニューヨークで性の解放やゲイの権利獲得といった運動と共に登場したロバート・メイプルソープであった。彼はそのようなスキャンダラスなテーマを伴いながら黒人の肉体に美しいフォルムを与えることによって注目を集める。そして86年にエイズと診断され、死ぬまでの3年間に「死」という絶対的なテーマと向き合い、ドクロの頭部を持つ杖を持った「セルフ・ポートレイト」、「頭蓋骨」等の作品を発表するのである。
 「写真」と「死」の関係は、その誕生の時から始まっていた、という発言はオスカー・ワイルドによって為されているが、それが確信的に論述されたのはロラン・バルトの「明るい部屋」であろう。バルトは、最愛の母を亡くした後に、この美しい文章を綴ったのであるが、その中で「写真」は、その深い悲しみを「平板な死」に変えてしまうと述べている。バルトは同書で「「死」がもはや宗教的なもののなかには存在」せず、「生を保存しようとして「死」を生み出す写真映像のなかにある」とし、「思い浮かべる唯一の《考え》は、その第一の死[母の死]の先のほうに、私自身の死が記入されているということだけである」と続けるのである。そのような写真の持っている激烈ともいえる暴力によって、メイプルソープは、先の「セルフ・ポートレイト」や「頭蓋骨」の作品を発表し、伝統的な警句としてのメメント・モリなどという唾棄すべきものを無効化していくのである。
 前述してきた2つの芸術的な立場は、対照的なものとして捉えられるかもしれない。前者はいわゆる形式主義的な論点に立つものであり、後者は極めて文学的な観点に依って成立しているように見えるだろう。しかしながら、グリーンバーグの標榜する抽象表現主義の作家たちが、彼ら自身の禁欲的な芸術的を精神的に支えているものは、ひとつの「世界」の構築であったと思われるケースが少なくない。あるいは、あからさまに「死」に対する関心を訴えることもあり、それはロマン主義的なものに近づこうとするものであろう。それに対して、先に指摘してきたように、メイプルソープは、文学的な主題を極めて冷徹に扱うことによってその意味を剥奪し、「死」は絶対的な個人のレベルにまで矮小化し、彼のシルヴァー・プリントによる工芸的な写真の皮膜は、完璧に表面だけの世界と化するかのように映るのである。

     *****

 今回のUNEASINESS展のオリジナル・メンバーである芦谷正人、岩澤有徑、大澤辰男は、「絵画」を形式主義的な観点から探求し続けてきた。それぞれに変化を遂げてきた軌跡は異なるものの、「絵画」とは何ものであり、「絵画」にどのような表現が可能であるかを問い、「絵画」を各個のオリジナルとなるところまで追求しようとする姿勢を貫いてきた点に於いては一致する。そのような精神性が、彼らをおよそ十年に亘って結びつけてきた大きな原動力となったであろう事は疑う余地はない。
 彼らは、これまで、同様の問題意識を持つ一人の作家をそのグループ展に迎え入れてきた。そうすることが、彼らの芸術的探求心を恒常的に維持することに資してきたのであろう。今回は、芸術的な質に於いても、その員数に於いてもこれまでとは異なる構成を試みている。その構成員は倉重光則、勝又豊子、佐藤ジン、中川久、内山聡、の5人である。倉重および勝又は、立体造形を用いたインスタレーション作品を発表し続けてきた作家であり、先の3人より作家歴は長い。佐藤、中川も倉重、勝又と同世代であり、佐藤は写真を、中川は絵画を媒体としながらモダニズム以降の表現を愉しんでいる。内山は今回のメンバーの中では最も若く、おそらくは表現を志した初期からパーソナル・コンピュータが身近に存在した世代であろう。要するに、形式主義的な様相を示す3人の作家に対して、比較的にみれば、表現的な、あるいは勝れて感覚的な要素によって、その「世界」を生み出そうとしている構成員が対抗する訳である。
 このような捉え方に対して、倉重は反意を唱えることであろう。我々こそが形式主義を凌駕する本質的な形式主義、要するに表現することに対して本質を探究する者であり、表現的な世界を構築しているのは、先の3人であろう、と。そして、その表現することに対して貪欲にエネルギーを費やす者を、道連れにやってきたのであると。確かに悪しき形式主義は、容易く教条主義化する危険性を孕んでいるだろう。そのような陥穽に嵌ることを避けるために。今回のグループ展は準備されたのかもしれない。しかしながら、困難とも言えるこのような試みを何度となく重ねられようとも、表現することの無限の可能性が見えることは奇跡的にしか起こり得ない。故に、表現しようとする者は、表現を根底的に探るために、このような場を用意することを希求するのであろう。見る者はただ、彼らの表現によって、どうしようもなく思考する状況に置かれることを鶴望するばかりなのである。

二〇〇九年 大雨時行




展示風景

A室:倉重光則
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C室:芦谷正人、岩澤有徑、大澤辰男、中川久
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芦谷正人
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岩澤有徑
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大澤辰男
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中川久
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D室:内山聡、勝又豊子、佐藤ジン

内山聡
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勝又豊子
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佐藤ジン
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倉重光則 KURASHIGE Mitsunori

芦谷正人 ASHITANI Masato

岩澤有徑 IWASAWA Arimichi

大澤辰男 OSAWA Tatsuo

中川久 NAKAGAWA Hisashi

内山聡 UCHIYAMA Satoshi

勝又豊子 KATSUMATA Toyoko

佐藤ジン SATO Jin

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